東洋と西洋の「美」の違い
今回も前回に引き続き「美って何だろう?」といったお題を共に考えていきたいと思います。
school(学校)の語源、あなたは知ってますか?
元々はschola(スコラ/暇)という言葉だったみたいです。
その昔、人々は暇をするようになった時、あれこれ考えるようになり、学問が始まったと言われています。
このようにして語源を理解することは、その言葉の本来の意味、ひいてはその起源を知ることにつながります。
「美」は英語でbeauty。
「美」とbeautyという言葉は、それぞれどういったいきさつで生まれたのでしょうか。
今回は東洋と西洋の「美」の違いを探っていきましょう。
目次
1 東洋の「美」、西洋のbeauty
元々「美」は「奉仕(犠牲)の心」、beautyは「驚き」を意味するものでした。
それぞれ違いがありますね。
ではそれぞれの細かい経緯を見ていきましょう。
そしてその上で、お互いの関係を考えていきたいと思います。
「奉仕(犠牲)の心」
「美」という文字を分解すると、「羊」と「大」になります。
その昔、中国では儀式などの生け贄として羊が用いられていました。
人々は自身の身を削ってでも羊を差し出したのです。
そんな中でもより大きな羊を捧げる人がいました。
自分を犠牲にしてまでも自らその行為に至るためには、喜び…言い換えれば奉仕の心があったと言えます。
場合によっては強いられた犠牲もあったでしょうが、自分から進んで命を差し出す姿を、人は「美」といつしか呼ぶようになったのです。
「驚き」
beautyは英語ですが、beau(ボウ)というフランス語が元になったと言われています。
beauは感嘆、つまり驚きを意味し「わお」「すげぇ」「まぁ」というように用いられます。
私たちが驚くときにbeau、つまりbeautyは存在すると考えられていたのですね。
「美」とbeautyの関係
「驚き」…自分の心が動く瞬間を「感動」ということもできますね。
前回お話ししました通り、感動には質があります。
そして質が高ければ高い感動であるほど、それは「美」に近くなってくるのです。
私はそれを「この上ない感動」と表現しました。
では私たちにとって「この上ない」つまり「これ以上ない」状況とは、一体どういった場面でしょうか?
もう分かると思います。
自分の命をさえも手放すときです。
映画『タイタニック』は最後、レオナルド・ディカプリオ扮する主人公の男性が、女性の命を救うために、自分の命を放棄して息絶える悲劇として幕を閉じます。
彼は文字通り「この上ない」選択を行動に移しました。
これは奉仕の心です。「奉仕の心」と「驚き」は一見、何も接点がないように思われますが、この2つの言葉を重ね合わせた時に「この上ない感動」、「美」とbeautyという言葉が浮かび上がってくるのです。
2 まとめ
ここまで話したことを以下の3点にまとめました。
- 「美」は本来「奉仕の心」を意味していた
- beautyは本来「驚き」を意味していた
- 「この上ない感動」とは「自分の命を投げ捨ててもいいと思えるほどの感動」を意味する
いかがでしたでしょうか。
これを知っているだけで美/beautyの原点に立ち戻ることができますね。
今回の記事はここまで!
また次回お会いしましょう♪